山海 満也
アルスホーム株式会社
代表取締役社長
山海 満也

適度な距離感

  • 社長メッセージ
最終更新日:2019.11.19

皆さんこんにちは。

随分と涼しくなり、空気も入れ替わってきた感があります。

さて、先日厚生労働省からこんな発表がありました。
「ネット依存症 中高生で93万人」12年度調査より倍増したそうです。

具体的には、日常生活に支障をきたすレベルでネットを利用する状況の人を依存症と見なしているようです。

そこまではいかないにしても、自身の生活を振り返ると、随分ネットを利用しながら生活しています。

メールやネットでの情報収集、物品の購入、最近はWEB経由でのミーティングなど恩恵にあずかっています。

しかしながら私の場合は極めて実務的に仕事で利用するのみで、私生活では必要最低限にとどめています。
世の中がケータイを中心として、あらゆる社会インフラに組み込まれつつある現在においてかなり遅れています。

ラインやSNSはほとんど使用しません。着信音もほとんど鳴らず静かなものです。

また、二人の子供たちは一時はスマホを欲しがりましたが、携帯を持たせないとする 学校の方針もあり、
今やスマホ自体に興味を示しません。たまに家のPCを使って塾のWEB講座を 受けたり、
息抜きにごく短時間、YOU TUBE を見る程度しかネットを利用しません。

そういう訳で我が家は極めてアナログな環境で生活しています。

個人的な見解ですが、アナログに完全に戻ることは無いにしても、随分と人間が横着になっている気がします。

例えば、昔はお客様や友人の電話番号は一通り覚えていたものですが、忘れていることが多くなっています。
また、文章も手で書くことはほとんどないので漢字を忘れることが増えました。

社会においても同じことが言えます。

先日の北海道の地震の際には電源自体を喪失したため、たくさんの人が携帯電話が使えず、
役所の自家発電に列をなして殺到する光景がありました。
携帯の電源が落ちるととすべての連絡、情報の取得が出来ないのです。

また、店舗においてはすべての電子決済ができず、モノを買うことすらできない人が続出しました。
結局、混乱した1、2日間は電卓で計算して現金でしかモノは買えませんでした。

便利な反面、いったん危機が起きた場合、WEBに依存する社会の脆弱性を見た思いです。


私の場合、ネットの利用を必要最低限しか必要としていないのには訳があります。

結果論として自然に現在の利用レベルになっているのですが、その原因は「考える」時間が必要だからです。

会社で起きたことであれ、ネットの情報であれ、本であれ、人であれ、出会った情報や
起きた状況についてあれこれ思索する時間が必要なのです。

つまり、情報の「意味」や「解釈」に強い興味があるので、沢山の情報に触れること 自体に
あまり興味はありません。むしろ多すぎるくらいだと考えています。

ですから、世の中の人がSNSなどを通じて「~映え」とか「イイね!」などとたくさんの情報を
シェアしていますが、私にとってはあまり必要性を感じません。

技術が進展し、利便性が上がることそのものは否定はしません。

しかし、膨大な情報に流され続けているだけで、五感を通じて感じたり、感じたことを
深く考えることが少なくなっているとしたら、便利にはなっても豊かではありません。


今後もネットや携帯端末を利用した利便性はどんどん向上すると思います。

しかし、情報をただひたすら処理し続ける生活になる危険性をはらんでいます。

特に「住まう」という視点で考えてみても重要なテーマです。家族団らんの時間に
全員がケータイをいじっている姿を想像するとうすら寒いものを感じます。

どんどん利便性があがりその恩恵を享受しつつも、適切な距離感を保つバランス感覚が大事だと思います。

情報に支配されて「生きる」ということの本質を見失っては本末転倒です。

(ロシアでは3Dプリンターで37㎡の住宅が1日で作られました。)


この先IOTと住まいがどう共存するのか?

利便性を享受しながらも家族の姿や関係性はどのようなシーンが理想なのか?


我々アルスホームにも住まいの創り手としてデジタル技術との共存に対する見解が求められています。