皆さんこんにちは。

 

今回は、自らのこれまでの人生における「分岐点」を振り返り、
改めて気づいた点について記します。

 

人は皆、生きていれば何らかの人生の分岐点を迎えるものです。

 

青年期であれば進学や就職、社会人となってからも異動や昇進、
人によっては転職という転機もあるでしょう。

 

また、家庭を持つことも大きな分岐点の一つです。

 

そうした自らの様々な分岐点を振り返り、
私は「なぜその選択をしてきたのか」を改めて考えてみました。

 

人によって選択の基準は様々です。

 

「損か、得か」、

 

「成功確率が高いのはどちらか」、

 

「楽ができそうなのはどちらか」

 

様々な価値判断の基準があり、どれも間違いではありません。

 

私の場合、特に社会に出てからの様々な選択において、
「お役に立つ」ということを基軸に判断してきました。

 

一見、自分の利益にならないようなことであったり、
面倒や遠回りに見える選択であったとしても、
「お役に立つ」という基準で引き受けてきました。

 

また、私にとって「お役に立つ」という基準は
誰に対してもただ柔軟で、受容的な対応をすることだけに
とどまりません。

 

例えば、部下に対しては仕事への妥協を許さず、
常に高い基準を要求してきました。

 

また、営業職を担当していた時は、お客様に対して、
言葉を強めて異論を唱えることも多々ありました。

 

そうした、時にヒリヒリするような状況において
自分を支えていたのは、「必ずこの人の役に立つのだ」
という根底にある強い想いでした。

 

また、それほど多くはありませんが人生の大きな分岐点において、
人から請われた時は悩むことなくすべて引き受けてきました。

 

今振り返ると、まさに「火中の栗を拾う」かのような場面も
あったように思います。

 

しかし、今になってそうした基準で選択してきた半生を振り返ると、
不思議なことに悪い結果に終わったことは皆無でした。

 

むしろ、結果的には感謝されることばかりだったのです。

 

また、感謝されれば、
「もっと恩返しをしよう」という気持ちが生まれます。

 

その好循環の繰り返しが、
自己肯定感と幸福感を育んでくれたのだと感じています。

 

もちろん、「お役に立つ」という価値判断の軸だけが、
人生を善く生きるための唯一の正解だとは思いません。

 

しかし、少なくとも誤った判断基準ではないと、
今改めて実感しています。

 

皆さんもこれから、様々な分岐点に差し掛かり、
悩まれることもあると思います。

 

その際には、「どちらがより、お役に立てるだろうか?」
という視点を判断基準の一つに加えてみてはいかがでしょうか。

 

皆さんが善き人生を歩む一助になれば幸いです。