修養

最終更新日:2021.08.30

皆さんこんにちは。

福井支店営業課の大野です。

一向に収まらないコロナ禍の中で、かねてから読みたかった本をゆっくり読むことが出来ました。

渋沢栄一の「論語と算盤」もその一つです。その一説に『修養』「自分を磨くのは、理屈ではない」とあります。この一節に心が惹かれました。

「修養」を辞書で調べてみると、「学問をおさめ、特性をやしない、より高い人格形成に努めること。精神を鍛錬し、品性をやしない、人格を高めること」とあります。

修養とは、自分の精神的な成長のために取り組むことですが、私なりに解釈すると「自己実現」を目指すことなのだろうと思います。

渋沢栄一は徳川家康の遺訓の一つを紹介しています。

「人の人生は、重い荷物を背負って、遠い道のりを歩んでいくようなもの、急いではならない。

不自由なのが当たり前だと思っていれば、足りないことなどない。心に欲望が芽生えたなら、自分が苦しんでいた時を思い出すことだ。耐え忍ぶことこそ、無事に長らえるための基本、怒りは自分にとって敵だと思わねばならない。

勝つことばかり知っていて、うまく負けることを知らなければ、そのマイナス面はやがて自分の身に及ぶ。自分を責めて、他人を責めるな。足りない方が、やりすぎよりまだましなのだ」

当時、戦乱続きでささくれ立った人々の心を癒して、徳川幕府が三百年続くもとをつくったのは、現実と理論を調和して、融合させた結果だと記しています。

歴史上の偉大な人物の生き様から、人間としてあるべき姿を学ぶことによって、自らの特性を磨き、人格形成をするための学習は、大変意義深いものだろうと感じます。

私自身もそうですが、最近は知恵や知識を身につけることばかりに走ってしまい、精神力を鍛える機会が乏しくなっていると感じます。

自分を磨くということは、精神も、知恵も知識も、身体も、行いもすべて向上するように鍛錬することなのだろうと思います。

修養は際限がありません。また頭でっかちになってしまうことに気をつけなければなりません。自分を磨くことは理屈ではなく、実際に行うべきこと。

このコロナ禍の中で、自分に使える時間を有意義に費やし、心・技・体をバランスよく学び、修養を積みたいと思います。