皆さんこんにちは。

 

先日、プロ野球の巨人軍監督が逮捕されるという
ショッキングなニュースがありました。

 

その後、皆さんもご存知の通り、それぞれの立場や視点から
様々な議論や評価がなされています。

 

私はここで、個別の事象に対して是非を判断するつもりはありません。

 

ただ、この一連のプロセスを見ている中で、
ある種の今日的な危うさを強く感じました。

 

今回の件における、発生から結末までの流れを振り返ってみます。

 

・家族の行動: 家庭内のトラブル対応について生成AIに相談し、
 そのアドバイスを受けて児童相談所へ連絡

・児相の対応: 通報内容の緊急性を鑑み、警察へ通報

・警察の対応: 通報を受けて臨場し、暴行の容疑で現行犯逮捕

・球団の対応: 逮捕の事実を受け、本人から辞任届を受理

 

驚くべきことに、この一連の出来事はわずか半日の間に起きています。

 

ここで注目すべきは、関係者それぞれの行動自体には、
手続き上の逸脱や過剰な点は見当たらないということです。

 

誰もが自分の立場において、ルールやマニュアル、
あるいは、一定の裁量の範囲内で「正しい」と判断される行動をとっています。

 

しかし、この事象の因果関係をシンプルに俯瞰してみると、
現代社会の歪みのようなものが見えてきます。

 

・事の発端(原因): 家庭内における子供同士の喧嘩
・事の顛末(結果): 父親の逮捕、社会的地位と職業の喪失

 

普通に考えれば、家庭内の小さなトラブルが発端となり、
一夜にして親が社会的地位を失うような事態にまで発展することは
想像しにくいのではないでしょうか。

 

誰もが「常識」や「ルール」から外れた行動をしていないにもかかわらず、
なぜこれほどまでに結果が極端になってしまったのか。

 

ここからは私見ですが、誤解を恐れずに申し上げれば、
各関係者の接点における、人間的な糊代が
不足していたからではないかと思えてなりません。

 

ここで言う糊代とは、機械的な処理の間に挟まる
グラデーションのプロセスのことです。

 

具体的には、当事者の言い分に寄り添って耳を傾ける時間や、
感情を落ち着かせるための対話、あるいは別の解決策を
優しく諭すといった過程です。

 

そうした人間的な関わりがどこかの段階で一つでもあれば、
別の展開もあり得たのではないでしょうか。

 

AIが加速度的に生活の隅々にまで入り込み、情報収集から意思決定、
そして手続きに至るまでの時間が極限まで圧縮されている昨今。

 

テクノロジーの普及によって合理性の追求が進めば進むほど、
私たちは自分で考え、判断を調整するという
人間側が果たすべき役割を見失いがちになります。

 

システムによる合理性が高まるにつれ、皮肉にも人間が担うべき責任や、
一歩立ち止まる重要性はかつてないほど大きくなっていると感じます。

 

今回の件については、多様な意見があると思います。

 

しかし個人的には、人と人との接点における「糊代」
すなわち、効率やルールだけで割り切らない、
人に対する想像力や優しさを忘れてはならないという、
今の時代からの強い警鐘のように感じられた出来事でした。