山海 満也
アルスホーム株式会社
代表取締役社長
山海 満也

仕事観を育てる―3

  • 社長メッセージ
最終更新日:2023.11.25

皆さんこんにちは。

前回、前々回とどのように仕事が好きになって
使命感を覚えるまでになったかを記しました。

今回のブログは、私の仕事観に
組織が大きく関わってくる段階となります。

私は、もとより幼少期から他人から指示されたり
影響を及ぼされることを嫌うタイプでした。

従って、荒削りの業界とは言え自分自身で創意工夫し、
一日中自身の裁量で働ける営業が性に合っていました。

当時は、営業として自身が最高のパフォーマンスを
実現することに集中していました。

しかし、入社5年目にマネージャーを命ぜられ
6人の部下を預かることとなりました。

これまで他人を率いて事を成した経験がない当時の私は、
他人の世話をすることそのものが面倒と感じていました。

今から思い出しても荒っぽいリーダーでした。

部下への配慮や成長を願うという姿とはかけ離れた、
問答無用で従属を求めるマネジメントスタイルでした。

マネージャーとしての仕事は給与にも反映されなかったので、
部下は自分の仕事の足枷でしかない邪魔者と映りました。

「言ったことはやれ」
「言われた通りやれ」
「君らの意見はいらない」

極めて強圧的なスタイルです。

当初は若いチームを預かったので、そうしたスタイルでも
チームは機能し、業績目標は達成することができました。

しかし、マネージャーとして2年が経過し、
7年目になると異動が命ぜられ、部下のほとんどが年上
というチームに配属されることになります。

そこから頭を悩ませることとなります。

これまで通り自分が正しいと考えている指示・命令を出すのですが、
一向に指示通りの仕事をしてくれないのです。

時には、私の指示に対する返事は良いものの
全く行動に移さない(要はやらない)者までいました。

当然ながら、チームのパフォーマンスは納得のいくものではなく、
尚且つ連帯感などとは程遠い状況でした。

つまり、マネージャーという権限を元に正しい指示を出す
というだけではチームとして機能しないという状況に陥りました。

なぜ、部下は自分の指示した通りに動かないのか?

当時の私はすぐに解決策が見出せず、
マネージャーとして約2年苦悶する日々が続くこととなります。

しかし、3年目に異動があり転機を迎えることになります。

異動先は、当時の店舗で「最悪」と揶揄される不出来な店舗で
クセの強いベテランが集まっていました。

当然、これまで通りのスタイルでは自分に耳を貸すとは思えず、
私自身がマネージメントスタイルを変えざるを得ませんでした。

そこで悩んだ挙句、一人一人を尊重するとともに
想いをじっくり聞くようにしたのです。

加えて、これまでは面倒とばかりに
指示オンリーであまり説明しなかったスタイルでしたが、
自分の指示の理由や自分の想いも伝えるようにしました。

また、仕事が終わってからも定例会と称して
毎月飲み会を開催し積極的に関わるようにしました。

1月の異動でしたが、3月を迎える頃にはまとまり感が出始め、
初夏を迎える頃には、クセの強いベテラン勢が
必死に仕事をしてくれるようになったのです。

おかげで、最悪と揶揄されていた店舗は
なんとその年の最優秀店舗として表彰を受けることになりました。

表彰のご褒美で行ったセブ島への旅行は、
私のこれまでのキャリアでも忘れることができない愉快な思い出です。

営業としてのスタートは順調で
すぐに良いパフォーマンスを出すことができましたが、
マネージャーとしては良き上司となるまで結構な時間が必要でした。

振り返れば、このプロセスで他人を分け隔てなく受容するとともに、
自分を理解してもらう努力が組織に必要だということを学びました。

こうして学んだ気づきは、
経営者となった今に至る重要な仕事観の変節点でした。

自分以外の他人と協力することによって、
個々の能力の足し算以上のいわゆる掛け算でパフォーマンスを出せる
人を活かすという仕事の面白さをそこに見出したのです。

そのように仕事観が育つ過程で、自然と経営という領域で
より大きな仕事をしたいという思いが強くなりました。

次のブログでは、経営者としての道を歩む中での
仕事観の成長について記したいと思います。