三陸紀行-1
- 社長メッセージ
皆さんこんにちは。
今回のGWにかねてより行きたかった
三陸へ行って参りました。
目的は、震災遺構の見学と復興の現実を学ぶことにありました。
まず最初に気づいたのは、新幹線で宮城県に入る頃より
山間地域に新しい家が多いことです。
恐らく、海岸地域からの住替が多いのだと推察されます。
仙台からはレンタカーで三陸に向かいます。
最初に訪れたのは、気仙沼市の東日本大震災伝承館です。
伝承館は、かつて高校が被災した状態を
そのまま保存した施設となります。
まず驚かされるのは、遡上した津波の高さです。
その高校の4階まで浸水し、近くの冷凍工場が丸ごと流され
高校の4階に衝突したとのこと。
4階の建物角は衝突跡がそのまま保存されています。
また、校舎内に流入した瓦礫や車も
手付かずのまま保存されていています。
報道で津波の高さが20メートル以上だったことは
知ってはいるものの、実際の罹災建物でその高さを見ると
想像を絶する高さであることを実感します。
他にも、仙台から気仙沼に至るルートは海岸近くを通るのですが、
全ての道路や河川堤防が嵩上げされており、高い防潮堤など
投じられた復興予算の巨額さを視覚的に知ることができます。
視界に入る道路や高台の家々はほとんどが新たに再建されたもので、
その新しいものしかない風景が、
如何に被害が広範かつ甚大なものであったかを示しています。
反対に奇妙な光景も目にします。
当然、浸水した地域はほとんどが放棄されています。
従って、浸水した低地はほとんど何もないのですが、
一部は公園やパークゴルフ場として整備されていました。
休日ともあって穏やかな陽射しの元、
たくさんの人がパークゴルフやピクニックを楽しんでいます。
それは何も起きなかったかのような平和な風景です。
また、そうした低地にもごく一部ですが
再建された住宅や商店があることに気づきます。
離れられない理由があるのか、将来の再浸水リスクを負いつつも
そこでの再建を決意した姿です。
巨額の復興予算が投じられ高台にほとんどの人たちが移り住む中で、
放棄低地での休日を楽しむ人の姿やジレンマを抱えながらの再建の姿に
強烈なコントラストを見た思いです。
大震災から14年が経過し、復興は終盤であるかのように考えていましたが、
いまだ癒えない痛みや辛さを感じずにはいられませんでした。
続いて南三陸に向かったのですが、
これまた複雑な想いを抱くこととなりました。
三陸紀行-2へ続く・・・